東方閃電-小羊の足跡に従っていくこと

東方閃電全能神教会は世界に”神様が帰ってきた”ことを公に証ししています。彼は再臨の主イエスです。神様の羊は神様の声を聞き分けます。多くの真理を渇仰する人は、東方閃電全能神教会を考察します。

神様のもとへ戻る証し――偽キリストから真のキリストを見分ける方法を見つける(1)

私たちはいま終わりの日にいますが、主の再臨に関する聖書の預言は基本的にすべて実現されました。主はお戻りになって私たちを迎えられようとしているのです。しかし主イエスの再臨のとき、偽キリストも現われて人々を騙します。では、偽キリストから真のキリストを見分け、主の再臨をお迎えするにはどうすべきでしょうか。これは心から主を信じるすべての人が理解したい問題だと思います。かつて甘心姉妹はまさにこの問題のせいで混乱しましたが、いまは偽キリストから真のキリストを見分ける原則を知り、主の再来をお迎えすることが出来たみたいです。彼女はどうやってこれらのことを理解するようになったのでしょうか。一緒に彼女の経験を読みましょう。

1996年、藍姉妹が主イエスへの信仰を私に宣べ伝え、私は喜んで受け入れました。その後、どんな不幸な出来事が降りかかろうと、私はいつも主に祈り、多くの問題は私の知らぬ間に解決されました。主がそばにいらっしゃれば何事もうまくいくと思い、心の中で平和と喜びを感じていました。しかし数年後、私の教会の説教師が新しいことを語らなくなり、教会の集会に参加する人もますます減り、説教のあいだに居眠りする兄弟姉妹さえいることに気づきました。私の霊はすっかり喜びを失い、このような教会の集会にうんざりしました。これ以上出席したくないと思いましたが、良心の呵責を感じ、集会に行き続けるよう自分に言い聞かせることしかできませんでした。

真のキリスト, 偽キリスト, 証し

 

主はもうお戻りになったと宣べ伝える言葉はどれも嘘なのか

 

ある日の集会で、説教師の徐兄弟がこう言いました。「兄弟姉妹のみなさん、主イエスは私たちにこう警告なさいました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう』(マタイによる福音書24:23-24)現在、主イエスの再臨の預言は基本的に実現され、主はあと少しでお戻りになって私たちを迎えられます。しかし主がお戻りになるとき、偽キリストも現われて人々を騙します。私たちは用心し、主はもうお戻りになったと語る説教を受け入れてはいけません。特に東方閃電は、主はもうお戻りになって新しい働きをなさっていると宣べ伝えています。心から主を信じる各教会の多くの兄弟姉妹がすでにこれを受け入れ、長年にわたって主を信じながら東方閃電に奪われてしまった説教師さえ数多くいます。あなたがたのいのちはいまだ未熟なので、東方閃電に奪われるのを避けるため、絶対に見知らぬ人と接触してはいけません。」

主はすでに戻られたと東方閃電が証しをし、長年にわたって主を信じてきた多くの説教師がそれを受け入れたと聞いたとき、私は驚いてこう考えました。「これは、主が本当に戻られたということなのかしら。この説教師の人たちは長年にわたって主を信じ、聖書を理解している。自分の考えや頭脳をもっているから、東方閃電を受け入れるのは簡単なことじゃなかったはず。東方閃電には私が探求すべき真理があるみたいだわ。でも徐兄弟はその道を探求するのを許さないだろうけど、彼の言うとおりにしたら、主をお迎えすることができるかしら。主イエスはこうおっしゃっていた。『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう』(マタイによる福音書7:7)主が本当に戻られているのに探し求めも調べもしないなら、主が私に見切りをつけられた場合、いったいどうすればいいのかしら。何年も信仰し続けるあいだ、私はずっと主がおいでになるを切望してこなかったの」しかし説教師が言っていたことを思い出し、再び不安になって考えました。「終わりの日には多くの偽キリストが現われる。そのひとりに騙されてしまったら、私はどうすればいいのかしら」私の心は乱れ、どうするのが一番いいのかわからなかったので、心の中で主への祈りを唱えました。「ああ、主よ。あなたの御心に沿うには、いったいどうすべきなのでしょうか。あなたはもうお戻りになったと宣べ伝える東方閃電の人に出会ったら、私は耳を傾けるべきでしょうか。ああ、主よ。どうか私を啓き、お導きください……」

ちょうどそのとき、聖書の言葉が心に浮かびました。「……主は、『わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない』と言われた。 だから、わたしたちは、はばからずに言おう、

『主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか』」(ヘブル人への手紙13:5-6)私の心はすぐに落ち着きました。「そうだわ。主が私の後ろ盾としていらっしゃるなら、何か恐れることがあるかしら。もっと主に祈って頼りさえすれば、きっと主は私たちをお導きになり、偽キリストから真のキリストを見分けられるようにしてくださるはず。どうして彼らの宣べ伝えることに耳を傾けてはいけないの」

 

私たちが探し求めることを主は望んでおられる

 

ある日、私と七、八人の兄弟姉妹が集会の場所に着いたあと、説教師の徐兄弟は再び東方閃電から身を守る方法について説教を始めました。そして偽キリストは終わりの日に現われて人々を騙すとか、私たちは見知らぬ人と接触してはいけないとか、何度も何度も強調しました。彼が話し終えたあと、銭姉妹がすぐにこう言いました。「徐兄弟、見知らぬ人と接触してはいけないと言う根拠は何ですか。あなたはいつも、主の再臨の預言はいまや基本的にすべて実現したとか、主はあと少しでいらっしゃるなどと説教しています。しかし東方閃電はいま、主はすでにいらっしゃっていると証ししていますが、あなたは私たちがその道を探求したり、彼らの説教を聞きに行ったりするのを許そうとしません。そうすることで、私たちが主のほうへと向かうのを妨げているのではありませんか。聖書にはこう記されています。『したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである』(ローマ人への手紙10:17)東方閃電が主の再臨かどうかは、彼らの説教を聞くことでしか判断できません。聞かず、見ず、接触しないなら、東方閃電が本物か偽物かをどうやって知るというのですか」

すると宗姉妹が言いました。「その通りだわ。主イエスはこうおっしゃいました。『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう』(マタイによる福音書7:7)自分が完全には理解していない物事に遭遇したとき、私たちはもっと祈るべきだというのが主の御心です。私たちが心を開いて探し求める限り、主は私たちの祈りをお聞きになり、私たちを導いてくださいます。私たちはいま主の再臨の福音を耳にしましたが、それを探し求めも調べてもおらず、祈ったり主の御心を求めたりもしていません。私たちはまったく主の教えに反していますし、それでは主をお迎えするなど無理でしょう」

姉妹二人からの質問にあった説教師は恐る恐る口を開きましたが、私たちが東方閃電の道を探し求めることを許さない本当の理由を語ることはできませんでした。私は姉妹二人の話を聞いて、彼女たちが言ったことは正しく、率先して東方閃電を探求し調べるべきだと思いました。それと同時に、少し驚きもしました。「宗姉妹はいつもとても内気で恥ずかしがり屋で、自分からあえて話そうとしない。今日は勇気を出して説教師に反論したのはどういうことかしら。それに、彼女の話は理知的で具体的だったし、聖書の教えとまったく一致していて反論不可能だった。本当に不思議だわ」その夜ベッドで横になりながら、銭姉妹と宗姉妹が説教師に反論したことを思い出し、不思議に思わざるを得ませんでした。「あの二人の姉妹はどうしてあんなに変われたの。東方閃電を受け入れたということなのかしら。主の到来のような大事な問題を軽々しく扱うことはできないから、明日出かけて二人と話をしよう」

次の日、私は宗姉妹を見つけて直接こう尋ねました。「宗姉妹、あなたは東方閃電を受け入れたんですか」彼女はうなずいて言いました。「ええ、東方閃電を受け入れました。私たちの主イエス受肉した全能神としてすでに戻られています。全能神はすべての真理を表わして人類が真の救いを得られるようにしてくださり、神の家に始まる裁きの働きをなさいます。私たちの堕落した性質を裁いて清め、私たちを罪の束縛から完全に救い、私たちが神様の御心を行なう人になれるよう、それをなさるのですよ」彼女がこのように話すのを聞いて、私はますます東方閃電による説教を聞くのが待ちきれなくなりました。すると宗姉妹がこう言いました。「私はそれを信じ始めたばかりなので、理解していない真理がたくさんあります。他の兄弟姉妹に話をしてもらうというのはどうですか」私は喜んでうなずき、この提案に賛成しました。

 

偽キリストを見分けるには

 

約束の日の朝早く、私は宗姉妹と一緒にある兄弟の家に行きました。彼はとても親切で、私たちに腰を下ろすよう機嫌良く言いました。そして私は、自分が感じていた混乱を二人に話しました。「兄弟、主イエスはこうおっしゃいました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう』(マタイによる福音書24:23-24)私たちの説教師はこの聖句を根拠に、主イエスが終わりの日に戻られるとき、偽キリストも現われて人々を騙すと言っています。また、主はすでにいらっしゃったと宣べ伝える言葉はどれも嘘だと言って、私たちがそれを調べるのを許そうとしません。彼の言うとおりにすれば主をお迎えすることができないと思うのですが、偽キリストに騙されるのも不安なんです。それを頭の中ではっきりさせるため、今日ここに伺いました。偽キリストから本物のキリストを見分けるには、いったいどうすればいいのでしょう」

真のキリスト, 偽キリスト, 証し

兄弟は微笑みながら言いました。「私たちはみな神様への信仰において道に迷うのを恐れ、偽キリストに騙されるのを恐れています。この種の恐怖や不安を感じるのはまったく正常なことです。しかし、私たちは主の御心を理解しなければなりません。主がそうおっしゃったのは、私たちが偽キリストを見分ける力をもち、彼らに騙されないようにするためです。主の再臨さえ拒否するほど無闇に偽キリストから身を守るようにするため、そうおっしゃったわけではないのです。事実、主の御言葉は終わりの日に偽キリストが現われることだけでなく、偽キリストを見分ける方法をも私たちに教えています。主イエスはこうおっしゃいました。『にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう』(マタイによる福音書24:24)偽キリストの行ないは、大いなるしるしと奇跡を行なうことに頼って人々を惑わそうとすることだと、主はとても明確におっしゃっています。いま私たちは偽キリストの特長を知っています。だから彼らを見分けることに注意を払う限り、騙されることはありません。この聖句を文脈から切り離して主の御心を完全に誤解し、主の再臨を宣べ伝える言葉はどれも偽りで、それを調べたり探求したりしては絶対にいけないと信じるなら、私たちは主の再臨を断罪していることになりませんか。それに、どうして主の再臨をお迎えすることができますか。喉が詰まるのを恐れて食べるのを拒み、わずかなものを得るために本当に大事なものを捨てているのではないのですか」

私は兄弟の話を聞きながら考えました。「つまり、偽キリストの明らかな特徴は人々を騙すためにしるしや奇跡を行なうことだと私たちに教えるために、主はこれらの御言葉をおっしゃったのね。それによって私たちが偽キリストを見分ける力をもつように。主はとてもはっきりおっしゃったのに、私はどうしてそれに気づかなかったのかしら。私たちの説教師はこの聖句を数え切れないほど説教してきたけれど、偽キリストを見分ける方法を一度も説明しなかっただけでなく、主はもうお戻りになったと宣べ伝える言葉はすべて偽りだと決めつけている。彼らはいつも、見知らぬ人に気をつけろとか、主の再臨の道を探し求めたり調べたりしてはいけないなどと言っている。そうすることで、主がお戻りになるとき、私たちは主を拒否することにならないかしら。そんなのあまりに危険だわ」

ちょうどそのとき、兄弟が一冊の本を手にして言いました。「全能神の御言葉をいくつか読みましょう。そうすれば偽キリストが人々を騙す方法についてもっと理解できます。全能神はこうおっしゃっています。「全能神の御言葉をいくつか読みましょう。そうすれば偽キリストが人々を騙す方法についてもっと理解できます。全能神はこうおっしゃっています。「この時代に、しるしや不思議を起こし、悪霊を追い払い、病人を癒やし、多くの奇跡を起こせる人が現れて、またその人が再来したイエスであると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。……人間の観念では、神は常にしるしや不思議を見せ、病人を癒やし、悪霊を追い払い、いつでもイエスのようでなければならないのだが、神は今回決してそのようなことはしない。もし終わりの日に神がしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり病人を癒やしたりしていたら──それならば、神はイエスの働きと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。それを理解しておきなさい。」(『言葉は肉において現れる』の「今日の神の働きを知るということ」より)

「全能神はとてもはっきりお語りになっています。神様は常に新しく、決して古くない神様であり、同じ働きを二度なさることは決してありません。例えば律法の時代、神様は人類に律法と戒律を布告なさり、地上の生活において人類を導かれ、神様を崇拝する方法を彼らに教えられました。しかし主イエスはおいでになったとき、律法の時代の働きを繰り返さず、その代わり律法の時代になされた働きを基に贖いの働きをなさいました。主イエスは悔い改めの道を表わされ、病人を癒やして悪魔を追い払われ、最後に十字架にかけられるまで奇跡をなさり、かくして人類を罪から贖われました。同様に、全能神も終わりの日のいまおいでになり、主イエスによる贖いの働きを土台として、神様の家に始まる裁きの働きをなさいます。また御言葉の裁きを通じて、人類を救い、私たちの堕落した性質が徐々に清められて変えられるようにするすべての真理を表わされ、最終的に私たちを美しい終着点へと導かれます。したがって、神様の働きが絶えず前進していること、神様が人類の必要に応じて絶えず真理を表わされ、人類を救う働きをなさることは明らかです。おいでになった全能神が再び恵みの時代の働きをなさり、病人を癒やして悪魔を追い払われるなら、その働きは前進できず、主イエスがなされた働きの段階を無意味にするでしょう。ゆえに、主が終わりの日に戻られるとき、病人を癒やし、悪魔を追い払い、奇跡を行なうという働きを再びなさることは絶対にありません。しるしや不思議を行なって主の再臨を装う者がいれば、それは間違いなく人々を騙そうとする偽キリストです。偽キリストはどれもキリストを騙ろうとする悪霊や悪魔です。彼らには新しい時代を始めて古い時代に幕を下ろす働きがまったくできず、まして人類を救うことなどできません。彼らにできるのは、神様による過去の働きの一部を追って模倣し、何らかの単純なしるしや奇跡を行なって人々を騙すことだけです。一方、死人を生き返らせるとか、五切れのパンと二匹の魚で五千人を満腹させるとか、一言で風と海を静めるなどといった、神様の権威とお力に満ちあふれた主イエスによる働きは、偽キリストの能力を完全に超えています。神様の働きを認識し、偽キリストの本質や、彼らが人々を騙すために用いる手段を見分けられるようになったとき、私たちは彼らに騙されるのを避けることができます」

全能神の御言葉と兄弟の話を聞いた私は、偽キリストの見分け方に関する真理をいくらか理解するようになりました。実際のところ、人類を贖う主イエスの働きはすでに終わっており、終わりの日に戻られる神様は、主イエスがすでになさった働きを繰り返さないのです。さらに、偽キリストは神様の働きを行なうことができず、神様による過去の働きを模倣し、何らかの単純なしるしや奇跡を行なうことに頼って人を騙すことしかできません。まさにそのとき、私は主イエスが語られた「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い」という言葉について新たな認識に至りました。

甘心