東方閃電-小羊の足跡に従っていくこと

東方閃電全能神教会は世界に”神様が帰ってきた”ことを公に証ししています。彼は再臨の主イエスです。神様の羊は神様の声を聞き分けます。多くの真理を渇仰する人は、東方閃電全能神教会を考察します。

中国共産党政府と宗教界の噂を信じるという問題の性質は何ですか。

関連する神の言葉

「真理を理解しない者はいつでも他人に従う。もし人が、これは聖霊の働きだと言うと、あなたもまた、これは聖霊の働きだと言う。もし人がこれは悪霊の仕業だと言うと、あなたもまた、疑惑を持つか、あるいは、それは悪霊の仕業だと言う。あなたはいつでも他人の言葉を物真似して繰り返すだけで、自分では何も識別できないし、自分の頭で考えることができない。それは、自分でものごとを区別できない、立脚点を持たない者である。このような人は価値のない惨めな人間だ。そうした人々は、いつでも他人の言葉を繰り返す。今日、これは聖霊の働きだと言われていても、いつの日にか、誰かがこれは聖霊の働きではなくて、人間の仕業に過ぎないと言う。しかし、あなたはそれを自分で見極める事ができず、他人がそう言うのを聞くと、同じことをて言う。実際は聖霊の働きであるものを、人間の働きだと言う。あなたは、聖霊の働きを冒瀆する者たちの一人となったのではないか。これは、物事の判断がつけられなくて神に敵対しているのではないか。いつの日か、どこかの愚か者がやって来て、『これは悪霊のしわざだ』と言うと、それを聞いたあなたは途方にくれて、またもや他人の言うことに縛られてしまうかもしれない。誰かが混乱を引き起こすようなことを言うたびに、あなたは自分の立脚点に固く立つことができなくなる。それは、真理を把握していないからだ。」

『言葉は肉において現れる』の「神とその働きを知る者だけが神の心にかなう」より

「真理を聞いた時に首を横に振り、死の言葉を聞いた時に満面の笑みを浮かべる者は、サタンの子孫であり、そうした者は全て排除対象となる。教会には識見の無い者が多数居て、何かしら偽りの出来事があると、そうした者はサタンに味方をする。こうした者は、自分がサタンの僕と呼ばれると、不当な扱いを受けたと感じる。こうした者は全く識見が無いと言う者もいるが、こうした者は常に真理の無い側に味方する。重要な時期に、こうした者が真理の味方をしたことや、真理のために立ち上がって議論をしたことは一度も無いが、こうした者は本当に識見が無いのであろうか。こうした者が常にサタンの味方をするのは、何故だろうか。何故、こうした者は真理について正当な言葉も合理的な言葉も決して述べないのだろうか。こうした状況は、本当に一時的な混乱から生まれるのだろうか。ある者の識見が少なければ少ないほど、その者が真理の味方をする能力も低くなる。それは何を示すであろうか。それは、識見の無い者が邪悪を愛していることを示して居るのではなかろうか。それは、識見の無い者がサタンの忠実な子孫であることを示して居るのではなかろうか。こうした者が常にサタンの味方をし、サタンと同じ言葉を述べることが出来るのは何故だろうか。こうした者のあらゆる行動、言動、表現は、こうした者が決して真理を愛する者ではなく、むしろ真理を忌み嫌う者であることを十分に示している。こうした者がサタンの味方をすることが出来ることは、こうしたサタンのために一生涯を通して戦う小悪魔をサタンが真に愛していることを十分に示している。こうした事実は、全て十分に明白ではなかろうか。」

『言葉は肉において現れる』の「真理を実践しない者に対する警告」より

「たとえば、神に関する噂や悪口を人間が聞いた時の最初の反応は、どのようなものであろうか。最初の反応は、その噂の真偽を知らないし、実在するかどうかも分からないので、様子を見よう、というようなものであろう。その後、人間は、それを確かめることは出来ないが、それは存在するのだろうか、その噂は本当だろうか、と考える。この者は、そのような思いを表に出さないが、その者の心には既に疑念が生じ、神を否定し始めている。こうした姿勢や観点の本質は、何であろうか。それは裏切りではなかろうか。人間がそうした問題に遭遇する以前は、その者の観点を知ることは出来ず、その者は神と敵対しておらず、神を敵とみなしていないように思われる。しかし、その者が、その問題に直面するとすぐに、人間はサタンの味方をして、神と敵対する。このことにより示されている事は、何であろうか。それは、人間と神が敵対していることを示している。それは、神が人間を敵として扱っているのではなく、人間の本質自体が神に敵対するものだからである。どれ位の期間神に付き従っているか、どの程度の代償を支払うか、どの程度神を称えるか、どう神を拒否せずにいるか、それだけでなく自らに対して神を愛すよう促しているかを問わず、人間は決して神を神として扱うことができない。それは人間の本質により決定されることではなかろうか。あなたが神を神として扱い、神が神であることを心から信じている場合、あなたは依然として神に対して疑念を抱くであろうか。自分の心の中の神に対して疑問があり得るであろうか、というと、それは有り得ない。この世の傾向は極めて邪悪であり、人類も極めて邪悪である。こうした人間に関して、あなたが何も認識していないのは、何故だろうか。あなた自身、極めて邪悪である。あなたにはその認識が無いのは、何故だろうか。しかし、一部の噂や悪口には、神に関する極めて大きな概念を生み出し、極めて大量の考えを生み出すものもあり、それにより、あなたの背丈がどれほど未熟であるかが示されている。何匹かの蚊や煩わしい蝿の『羽音』だけで、あなたを欺くには十分であろうか。これはどのような種類の者であろうか。」

『言葉は肉において現れる』の「神の性質と神の業の結果を知る方法」より