東方閃電-小羊の足跡に従っていくこと

東方閃電全能神教会は世界に”神様が帰ってきた”ことを公に証ししています。彼は再臨の主イエスです。神様の羊は神様の声を聞き分けます。多くの真理を渇仰する人は、東方閃電全能神教会を考察します。

神の特別な愛を経験する

私の本性は際立って傲慢です。何をしていたとしても、自分の賢さを見せるためにいつも工夫をこらして独創性を発揮するため、自分のやり方で物事をして働きの手引きに違反することがよくあります。とりわけ、人を選んで特定の地位に就けるときはひときわ傲慢になります。自分には常に適任者を選ぶのに役立つ、独自の才能と洞察力があると信じているのです。そのため、私が誰かを選ぶ際には、選ぼうとしている人物のあらゆる状況を熱心に調査することはありません。また、選ぼうとしている人物を、関連する原則に従う形で慎重に選別することもありません。この結果、教会内の重要職に就くべく字句や教義についてしか語らない、ずる賢く、狡猾な人物を選んでしまいました。そのせいで働きだけでなく、兄弟姉妹のいのちに大きな損失をもたらしました。しまいには、神様に仕える中で実質的な働きに欠けていたため、私は神様から拒絶されてしまいました。聖霊の働きを失って奉仕から外されたのです。

奉仕から外される知らせを受け取ったとき、私は呆然としました。このようなことが自分の身に起きるとは想像し難いことでした。そのため、私は神様を誤解し、神様に疑念を抱き始めました。教会は私を役から外し、何の本分も与えません。私の問題は非常に深刻なようでした。追放されることになるでしょう。以前、いい加減に働いて神様を欺き、教会の働きを妨げ乱したせいで追放された人がいました。また自分を賞揚して自分の証しをし、神の選民を巡って神様と争ったために反キリストになった人もいます。今日私は、いい加減に働き、神様を欺き、自分を高い位置に置き、自分の証しをし、教会の働きを大いに妨げ乱したのですから、なおさら追放されてしまうのではないでしょうか。自分がもたらしたこの惨事を目の当たりにし、私は恐怖に震えました。私の心はひっきりなしにこう言いました。「私はもう終わりだ。今度こそ完全におしまいだ。私は何度も神様に抵抗し、歯向かってきた。神様は間違いなく私をお救いにはならないだろう。神様はありとあらゆることをして人類を救うとおっしゃったが、それは堕落の程度が軽く、軽微な過ちしか犯していない人に当てはまることだ。神様が見えなくなってありとあらゆる過ちを犯した、私のような傲慢で思い上がった人間は、間違いなく神の懲罰を受けるだろう。ゼロからやり直そうと努力したところで、神様は私をお赦しにはならないだろう。私の行ないは神様を失望させ、あまりにひどく悲しませたのだから……」私は無意識のうちに痛みと絶望に沈んでいきました。

極限の苦痛の中、教会が私に本分を尽くす機会をもう一度与えてくれることを望みました。しかし、この考えが頭をよぎるたび、「重罪」という言葉が一縷の望みを否定し、打ち消しました。痛み、自責の念、葛藤、そして願いが私を苛み、もう生きていたくないと考えるほどの苦痛を与えました。絶望の中でばらばらになってしまいそうでした。まさにそのとき、私は次の神様の御言葉を読みました。「神は臆病者を好みません。神は決意がある人を好みます。あなたが多くの堕落を見せたとしても、あなたが多くの曲がりくねった道を辿ったとしても、途中であなたが多くの過ちを犯したり、神に反抗したとしても——あるいは、神に対する冒涜を心に抱いたり、神を責めたり、神と対立する人もいます——神はこれを見ません。神はいつか人が変われるだろうか変われないだろうかだけを見ます。…それは、人類を救う神の心は誠実であるということです。神は人々に悔い改めの機会と変化の機会を与え、そしてこの過程で神は人々を理解し、人々の弱点と堕落の程度を深く知っています。神は人々がつまずくだろうことを知っています。…すべての人の困難、弱点、そして彼らの欲求を神は理解します。さらに、それぞれの人が性質の変化へと入る過程で遭遇するであろう困難と、どのような弱点や失敗が起こるかを神は理解します。これは神が大変理解していることです。それは、神は人々の心の深みをのぞき込むと言われている理由です。あなたがどんな弱くても、あなたが神の名を捨てない限り、あなたが神またはこの道を離れない限り、あなたにはいつも性質における変化を成し遂げる機会があるでしょう。わたしたちに性質における変化を成し遂げる機会があれば、わたしたちには継続的な生存の望みがあります。わたしたちに継続的な生存の望みがあれば、わたしたちには神によって救われる望みがあります。」(『キリストの言葉の記録』の「性質の変化とは何か――性質の変化への道」より)また、説教の言葉にも耳を傾けました。「神は人、特に過ちを犯した人を救うためにあらゆることをなさっています。人は過ちを犯した人のことを救われない存在と考えますが、神様はそのような人を諦めようとせず、彼らを救いたいとなおも望まれています。深刻な過ちを犯した人に、神はこうおっしゃいました。『あなたはかつての献身に立ち返り、私を求めさえすればそれでよい。私は今でもあなたを救いたいと思っている』あなたの過ちが何であろうと、神から離れない意思と救いを求める願望がある限り、神が諦められることはありません」(『いのちに入ることに関する交わりと説教(2)』の「キリストが真理、道、いのちであることを知る方法」より)これらの言葉は乾ききっていた私の心を潤す甘露のようでした。目からどっと涙が溢れ出し、私は泣き出してしまいました。何度、「不可能」が予期せず良い方向に向かったか分かりません。神様は、私の状況がどうあれ、私が追求を諦めず、悔い改めようとし、神様から離れたり、神様を諦めたりしない限り、いまなお私を救いたいとおっしゃってくれたのです。私は神様の御前にひれ伏さずにはいられませんでした。「ああ神様。私はあなたを信じて従いながら、事あるごとにあなたに反抗し、あなたを拒んでいます。本分を尽くすにあたってしばしば自分の思い通りに行ない、教会の働きを乱します。しかしあなたは私に我慢なさり、私をお赦しになりました。私が悔い改めて救われる機会を再び与えてくださいました。ああ神様。あなたの愛のおかげで、あなたに対する私の誤解と疑念は消えました。それによって死にかけていた私の心が回復し、極度の否定的な気持ち、痛み、絶望から脱することができました。そして生きる望み、救いを求める願望に再び火が点きました。ああ神様。あなたの私への愛はとても深く、とても大きいものです。私はあなたの愛の前で言葉を失い、恥ずかしくて顔を見せることができません。あなたの御前で生きるのが恥ずかしいと深く感じています。いまのところ、心の底からの感謝と賛美をあなたに送ることしかできません。心の歌をあなたに捧げることしかできません。『あなたの愛により、私は他の何も選べません。あなたに心配をおかけすることは二度としません。堕落した人はあなたの愛を大いに享受します。あなたは私の心の中にある唯一の愛、私が愛し、尊敬し、頼りにする唯一の方です。あなたの愛がなければ、痛みを感じるだけで生きていくことはできません。生涯を捧げてあなたを知っていくのは、何と喜ばしいことでしょう。自分の状況がどうあれ、私はあなたの足跡に従い、あなたの側にいて、あなたをお慰めします。極度の苦難の最中でも、私は証を立て、あなたに満足していただきます。苦しみと精練のおかげで、私の心は一層あなたに近づきました。あなたが心の中にいらっしゃれば、私は永遠に幸せです」

神様に対する誤解がなくなると、私は落ち着きを取り戻し、過去の行為を振り返りました。私は働きの中で、神様を頼ることも仰ぐこともありませんでした。神様の御心を求めず、働きの手引きや教会の要求事項に基づいて働くことをしませんでした。自分の頭脳や内面の資質、そして経験だけに頼り、自分のやり方で物事を行なっていました。神様の御言葉に即して物事を見たり取り扱ったりしたことは一度もなく、働きの原則を求めることもなかったのです。私は自分の感情と思考に頼って推測や判断をしていました。他の人に相談したことはなく、しばしば自分のやり方で物事を行ないました。たとえ他の人に相談することがあっても、それは自分を謙虚に見せるためでした。実際には心の中にもう計画があり、そのため他の人の考えを組み入れることは稀でした。上部からの働きの手引きが自分の観念と食い違った場合はそれを実行せず、誰かが私を取り扱って刈り込もうとしたときは、受け入れるのをさらに拒否していました。私は傑出することを特に望み、何をするにしても他の人を超えたいと思っていました。自分は誰よりも優秀であり、教会の中で自分にできない働きはなく、自分が行なうすべてのことは優れていると信じていました。……傲慢な本性に支配されていた私は、自分の中にあるサタンの本性に頼り、長年にわたり働きの中で狼藉の限りを尽くしていました。基本的に真理を求めておらず、自分を知ることに注力していませんでした。高い地位に就くことを心の底から求め、偉大な指導者になりたいと思っていました。その結果、私は神様の性質も本質もまったく理解していませんでした。神様に対する畏敬の念と恐れをこれっぽっちも抱いていませんでした。神様の御前で向こう見ずに振る舞い、何事にも立ち止まることはありませんでした。私は遠慮せずに何でも言ったり行なったりしていました。自分が偽の羊飼いの役を演じていることに気づかず、神様に仕える道を歩みながら神様に抵抗していました。兄弟姉妹は何度も私に忠告しましたが、私は彼らの善意の助けを受け入れませんでした。私はあまりに傲慢で、我が道を進んでいました。何度も神様に抵抗して逆らったせいで神様の怒りに触れ、最終的には奉仕から外されてしまい、それによって自省するはめになったのです。

それをよく検証したところ、私は自分の酩酊状態から徐々に目が覚めてきました。この間ずっと、神様は私を救われるべく、私に降りかかったすべてのことに多くの考慮を重ねてこられました。私は再び神様の御前にひれ伏さずにはいられませんでした。全能神よ、ありがとうございます。今回、奉仕から外されたことで死ぬような気持ちを味わい、その苦痛は比類なきものでしたが、私に対するあなたの偉大なる愛と救いを経験する機会となりました。今回奉仕から外されていなければ、私はいまだに自分自身の観念と想像の中で生きており、誤った方法で物事を行ない続けていたでしょう。家族と仕事を捨てて教会で働くことが、あなたに誠実に尽くすことだといまだに信じていたでしょう。自分自身の行ないを省みず、自分の奉仕があなたに抵抗するものだということに気づいていなかったでしょう。この状態で続いていれば、私はますます傲慢で思い上がった人間になっていたでしょう。最終的には反キリストとしてあなたに反抗し、あなたの懲罰を受ける必要があったでしょう。ああ神様、私に対するあなたの愛はとても偉大で、まさに現実です。今日私が奉仕から外されたのは、あなたが私を本当に救ってくださっているのです。あなたの愛ある罰によって、私の心は征服されました。私を救い、守ってくださり、心から感謝します。それ以上に、あなたの義なる性質が背きを許さないことを明らかになさり、私に身をもって経験させてくださりありがとうございます。人間への心無い非難や辛い試練の中で、あなたの深い父なる愛を私に分からせてくださりありがとうございます。同時に、あなたは私が自分の堕落した本質を認識し、サタンによってとても深く堕落させられてきたことをも分からせてくださいました。私には傲慢な本性が深く根ざしており、あなたの刑罰と裁き、試練と精錬だけでなく、私を清めて救う懲罰と呪いさえも必要としています。この働きを通してのみ、私は畏敬の念をもってあなたの御前に出て、守っていただき、清めていただけるのです。ああ神様、今日からは熱心に真理を求め、あなたの働きに心から服従します。あなたの裁きと刑罰を受け入れます。あなたがどのように私を取り扱おうと、私はあなたに完全に服従し、あなたの采配に身を委ねます。誤解したり、文句を言ったりはしません。私は本物の人間となり、価値ある有意義な人生を送っていきます。