東方閃電-小羊の足跡に従っていくこと

東方閃電全能神教会は世界に”神様が帰ってきた”ことを公に証ししています。彼は再臨の主イエスです。神様の羊は神様の声を聞き分けます。多くの真理を渇仰する人は、東方閃電全能神教会を考察します。

神が私に授けてくださった最高の贈り物

以前は、兄弟姉妹が「神様がなさることはすべて一番良いことであり、人にとってそれ以上必要なものはない。」と言うのを私はよく耳にしました。「なるほど、その通りだな」と思っていましたが、自身の経験を通して理解していたわけではありません。後に、神様が私のために用意してくださった環境を通して、ある程度の理解を得たのです。

私には地位を殊更欲しがる気持ちがありました。指導者に注目され、兄弟姉妹に高く評価されることを常に望んでいましたが、現実は私の望みどおりになることはありませんでした。数年の間、誰と組んで本分を果たしても、私はいつも「助手」でした。どんな場合も、指導者はいつも私の相方に相談し、彼女に業務を任せました。指導者の目には私はいかにも取るに足らない、重要ではない存在であるようでした。それが原因で調子を崩し、「私も同じ本分を尽くしているし、他の人と比べても劣らないのに、どうしていつも助手なのだ。なぜいつも下っぱなのだろう」と思いました。自分の希望が満たされなかったため、精錬の苦痛を多少経験し、神様をいつも誤解しながら過ごしました。そこから抜けられませんでした。ある日、指導者が、私の相方に原稿をまとめるように頼みながら、私には協力を頼まなかったことが、私の気に障りました。そうした些細なことを気にするべきではないことはわかっていましたが、それがどうしても頭を離れず、私はまた苦痛に見舞われました。「なぜ、いつもこんな状況になるのだろう。どうして思うようにいかないのだろう。なぜ神様はこんなことをなさるのか。全く理解できない」と思い悩みました。

しばらくして、神様の御言葉を飲み食いしていると、次の御言葉が目に留まりました。「人間の本性にある堕落は試練を通じて解決されなければなりません。あなたが清められていない側面はどれも、あなたが精錬されなければならない側面です。これが神の采配です。神はあなたのためにある環境を作り、そこで強制的に精錬されるようにすることで、自らの堕落を知ることができるようにさせます。最終的に、あなたはむしろ死んで自分の企みや欲望を捨て、神の主権と采配に服従したいと思うまでになります。それゆえ、数年間の精錬を受けておらず、ある程度の苦難を経ていない人は誰も、自身の考えや心における肉の堕落の束縛を捨て去ることが出来ないでしょう。あなたはどの側面においてもいまだサタンに束縛され、自分の欲望と要求を抱いていますが、それらの側面において試練を受けなければなりません。人は試練を通じることでのみ教訓を学び、真理を得て、神の意図を理解することができます。」(『キリストの言葉の記録』の「試練のさなかに神を満足させるには」より)まるで神様が面と向かって私を啓いてくださっているようで、その御言葉からは、暖かい波が心の中に打ち寄せるように感じました。神様がなぜそのように物事をなさっているのか、その目的は何かを伝えるともに、神様のご厚意を理解できるようにしてくれました。神様からこうした啓きを受け、私は、神様が作ってくださった環境を改めて見つめずにはいられませんでした。こうして神様が私のことを一番良くご存知であると理解したのです。サタンがどの面で私に最も悪しき影響を及ぼしているかお見通しだったのです。サタンによる私の堕落は、地位のことになると最も深刻であることもよくご存知でした。私が常にサタンの支配下で堕落させられ、抑圧され、苦しめられ、踏みつけられながら生きているのを神様は見るに耐えられなかったのです。そのため、私の本性に焦点を当てられ、サタンに最も堕落させられていた部分を、私の必要に応じて継続的に清めてくださいました。こうした暴き、刑罰、精錬はすべて神様の私への愛による救いだったのです。しかし長年経っても、私は神様のご厚意を理解することはありませんでした。神様の「剥奪」の働きを進んで受け入れようとしなかったのです。そのため、私はいつも神様の慈愛を思い誤り、神様が自分につらく当たって抑圧しておられる、能力を発揮させてくださっていないと感じました。今だから言えますが、もし地位こそ人生そのものという考えをもったまま、万事において自分のやりたいようにしていたならば、内なる欲望がますます肥大し、ついには身を滅ぼすしかなかったでしょう。その時初めて、神様が長年私になさって下さった懸命な働きかけを理解しました。神様が整えられた環境が私を救うためのものであるとその時初めて悟ったのです。これは、言葉では言い表せない愛です。私は神様の真実の愛に心を打たれ、神への思い誤りが心の中から消えました。神様が作ってくださった環境の中で喜んで従順になろうと思いました。

この経験があったからこそ、私は神様が人を試し、精練するために様々な環境を作られると真に認識しました。そこには、深い意味もあり、大きな愛もあります。実際のところ、自分の観念と合わない状況が降りかかってきたとき、そうした状況こそ、私のいのちにとって最も必要なものなのです。神様が私にご自身を認識させ、従わせて救うために不可欠な手段です。ちょうど母親が子供の健康状態を一番よく把握しているのと同じです。どの子に何が必要で、どんな栄養を補給する必要があるかは母親がよく知っています。今日神様が人の身の上になさっていることはそれと同じです。神様は人に環境を用意して下さり、神様が人の身の上になさることはすべてその人が必要とすることにのみ基づいています。すべてその人のいのちに最も有益なものであり、その人が真理を得て、神への従順をもち、サタンの影響を捨て去ることができるようにするためのものです。神様が用意された環境の中で従順になることができれば、真理を得て、いのちを得ることができるでしょう。もし自分の感情や好みに身を任せて、神様にそれらを満たしていただこうとするならば、まったく何も得ないばかりか、神様を不快にし、ついには、わが身を傷つけ、滅ぼすしかありません。なぜなら人が好むものは人にとって適切なものではなく、神様が人を救って、完全にされる働きには尚更有害だからです。神様が人類にお与えになるものだけが最高のものであり、人が最も必要とするものなのです。その時になり、私もようやく神様が仰った、「今日あなた方が進む道には裁きと呪いが伴う。だがあなた方は知るべきだ。わたしがあなた方に授けたもの全ては、裁きであれ刑罰であれ、全てわたしからあなた方への最善の贈り物であり、どれもあなた方が至急必要なものであることを。」(『言葉は肉において現れる』の「あなた方の人格は卑しすぎる」より)という御言葉の実践的な理解を得ました。

神様の啓きに感謝します。おかげで私は神の自分への働きをある程度認識し、理解することができ、自分が受け入れたくないものほど自分に必要であり、受け入れるべきであると悟ることができました。それによってのみ、私は神様が与えてくださるものを得ることができます。また、神様の本質は善であり、神様が人類のためになさることはすべて愛であると悟っています。それはすべて人のいのちにとって最も有益であり、人にいのちにもっとも必要な糧であり、神様から人に与えられた最高の贈り物です。今日から私は、自分の人生のすべてを神様の御手にゆだね、神様が私になさる働きのすべてに従って受け入れようと思います。真理を知り、真理を得て、神様が用意してくださった環境の中で性質の変化を遂げることを目指したいです。

河北省石家荘市 一心