東方閃電-小羊の足跡に従っていくこと

東方閃電全能神教会は世界に”神様が帰ってきた”ことを公に証ししています。彼は再臨の主イエスです。神様の羊は神様の声を聞き分けます。多くの真理を渇仰する人は、東方閃電全能神教会を考察します。

キリスト教映画「勝利の凱歌」クリスチャンの勝利を得る証し 日本語吹き替え

キリスト教映画「勝利の凱歌」クリスチャンの勝利を得る証し 日本語吹き替え 終わりの日の全能神の裁きの御働きはすべての国々や宗派に広まりました。神の国の福音の広まりにしたがい、全能神の御言葉はより多くの人々に受け入れられ広まっています。神の出現を渇望する、神様の真の信者は一人また一人、神様の玉座の御前に戻ってきています。一方、中国政府や宗教界の牧師や長老たちは徹頭徹尾、全能神教会を鎮圧し弾圧を続けていました。この動画の主人公ジェン・シンジェは全能神教会のクリスチャンで、福音を広めています。彼女は中国共産党政府や宗教界の指導者達の激しい抑圧や攻撃を受けてきました。彼女はどのようにして兄弟姉妹達と共に、神を信じ、こうした暗黒のサタン的な権力に打ち勝ち、勝利の歌を歌うことができるのでしょうか?…

五二八山東招遠事件の背後で 暴かれた真実 すべての黒幕は中共

2014年、中国共産党は、家庭集会を徹底的に弾圧するための世論の基盤作りに、山東省で、悪名高き「5月28日招遠市事件」を意図的に捏造しました。また全能神教会を糾弾し、誹謗しようと、嘘を全世界に広めました。その結果、真実を知らない人々は、はからずも中国共産党プロパガンダによって騙されました。このプログラムでは、あなた方のために、中国共産党の嘘をひとつずつ詳細に分析し、その事実を解明し、世界に向けて山東省招遠事件の背後にある真相を徹底的に暴くため、この事件を取り巻くいくつかの大きな疑問が明らかにされるでしょう。

中国共産党政府と宗教界の噂を信じるという問題の性質は何ですか。

関連する神の言葉

「真理を理解しない者はいつでも他人に従う。もし人が、これは聖霊の働きだと言うと、あなたもまた、これは聖霊の働きだと言う。もし人がこれは悪霊の仕業だと言うと、あなたもまた、疑惑を持つか、あるいは、それは悪霊の仕業だと言う。あなたはいつでも他人の言葉を物真似して繰り返すだけで、自分では何も識別できないし、自分の頭で考えることができない。それは、自分でものごとを区別できない、立脚点を持たない者である。このような人は価値のない惨めな人間だ。そうした人々は、いつでも他人の言葉を繰り返す。今日、これは聖霊の働きだと言われていても、いつの日にか、誰かがこれは聖霊の働きではなくて、人間の仕業に過ぎないと言う。しかし、あなたはそれを自分で見極める事ができず、他人がそう言うのを聞くと、同じことをて言う。実際は聖霊の働きであるものを、人間の働きだと言う。あなたは、聖霊の働きを冒瀆する者たちの一人となったのではないか。これは、物事の判断がつけられなくて神に敵対しているのではないか。いつの日か、どこかの愚か者がやって来て、『これは悪霊のしわざだ』と言うと、それを聞いたあなたは途方にくれて、またもや他人の言うことに縛られてしまうかもしれない。誰かが混乱を引き起こすようなことを言うたびに、あなたは自分の立脚点に固く立つことができなくなる。それは、真理を把握していないからだ。」

『言葉は肉において現れる』の「神とその働きを知る者だけが神の心にかなう」より

「真理を聞いた時に首を横に振り、死の言葉を聞いた時に満面の笑みを浮かべる者は、サタンの子孫であり、そうした者は全て排除対象となる。教会には識見の無い者が多数居て、何かしら偽りの出来事があると、そうした者はサタンに味方をする。こうした者は、自分がサタンの僕と呼ばれると、不当な扱いを受けたと感じる。こうした者は全く識見が無いと言う者もいるが、こうした者は常に真理の無い側に味方する。重要な時期に、こうした者が真理の味方をしたことや、真理のために立ち上がって議論をしたことは一度も無いが、こうした者は本当に識見が無いのであろうか。こうした者が常にサタンの味方をするのは、何故だろうか。何故、こうした者は真理について正当な言葉も合理的な言葉も決して述べないのだろうか。こうした状況は、本当に一時的な混乱から生まれるのだろうか。ある者の識見が少なければ少ないほど、その者が真理の味方をする能力も低くなる。それは何を示すであろうか。それは、識見の無い者が邪悪を愛していることを示して居るのではなかろうか。それは、識見の無い者がサタンの忠実な子孫であることを示して居るのではなかろうか。こうした者が常にサタンの味方をし、サタンと同じ言葉を述べることが出来るのは何故だろうか。こうした者のあらゆる行動、言動、表現は、こうした者が決して真理を愛する者ではなく、むしろ真理を忌み嫌う者であることを十分に示している。こうした者がサタンの味方をすることが出来ることは、こうしたサタンのために一生涯を通して戦う小悪魔をサタンが真に愛していることを十分に示している。こうした事実は、全て十分に明白ではなかろうか。」

『言葉は肉において現れる』の「真理を実践しない者に対する警告」より

「たとえば、神に関する噂や悪口を人間が聞いた時の最初の反応は、どのようなものであろうか。最初の反応は、その噂の真偽を知らないし、実在するかどうかも分からないので、様子を見よう、というようなものであろう。その後、人間は、それを確かめることは出来ないが、それは存在するのだろうか、その噂は本当だろうか、と考える。この者は、そのような思いを表に出さないが、その者の心には既に疑念が生じ、神を否定し始めている。こうした姿勢や観点の本質は、何であろうか。それは裏切りではなかろうか。人間がそうした問題に遭遇する以前は、その者の観点を知ることは出来ず、その者は神と敵対しておらず、神を敵とみなしていないように思われる。しかし、その者が、その問題に直面するとすぐに、人間はサタンの味方をして、神と敵対する。このことにより示されている事は、何であろうか。それは、人間と神が敵対していることを示している。それは、神が人間を敵として扱っているのではなく、人間の本質自体が神に敵対するものだからである。どれ位の期間神に付き従っているか、どの程度の代償を支払うか、どの程度神を称えるか、どう神を拒否せずにいるか、それだけでなく自らに対して神を愛すよう促しているかを問わず、人間は決して神を神として扱うことができない。それは人間の本質により決定されることではなかろうか。あなたが神を神として扱い、神が神であることを心から信じている場合、あなたは依然として神に対して疑念を抱くであろうか。自分の心の中の神に対して疑問があり得るであろうか、というと、それは有り得ない。この世の傾向は極めて邪悪であり、人類も極めて邪悪である。こうした人間に関して、あなたが何も認識していないのは、何故だろうか。あなた自身、極めて邪悪である。あなたにはその認識が無いのは、何故だろうか。しかし、一部の噂や悪口には、神に関する極めて大きな概念を生み出し、極めて大量の考えを生み出すものもあり、それにより、あなたの背丈がどれほど未熟であるかが示されている。何匹かの蚊や煩わしい蝿の『羽音』だけで、あなたを欺くには十分であろうか。これはどのような種類の者であろうか。」

『言葉は肉において現れる』の「神の性質と神の業の結果を知る方法」より

嘘に惑わされないようにするためには、どのように真理を追求することができますか。実践の原則とは何ですか?(1)

関連する神の言葉

「わたしの言葉はわたし自身を表している。これを覚えておきなさい。疑いを抱いてはならない。あなたは絶対に確信していなければならない。これは生と死の問題である。これは恐ろしいことである。わたしの言葉が話されるやいなや、わたしがしようとすることが実現する。」

『言葉は肉において現れる』の「第七十七章」より

「現時点では、聖霊が歩む道とは、神の現在の言葉である。したがって、その道を歩むには、人は受肉した神の現在の言葉に従い、それを食べて飲まなければならない。神は言葉の業を行っており、全てが神の言葉から語られ、あらゆることが神の言葉、すなわち神の現在の言葉により建て上げられている。それが、肉となった神について全く疑念がなくなることであれ、神を知ることであれ、人は神の言葉に多くの努力を注がなければならない。さもなければ、何一つ成し遂げることができず、その人には何も残らないだろう。神の言葉を食べ飲むことに基礎を置いて、神を知り、神を満足させることによってのみ、人は徐々に神との正しい関係を確立できる。神の言葉を食べて、飲み、実行に移すことは、神との最善の協力であり、神の選民のひとりとして証しするための最も優れた実践である。人が神の現在の言葉の本質を理解し、それに従うことができる時、その人は聖霊により導かれる道によって生活しており、神が人間を完全にする正しい道に入っているのだ。人々はかつて恵みを求め、また平安と喜びを求め、やがて神の業を得ることができた。現在はそうではない。肉となった神の言葉がなく、それらの言葉の現実性がない場合、人間は神の承認を得られず、神によって取り除かれる。」

『言葉は肉において現れる』の「性質が変化した者たちとは神の言葉の現実の中へ入った人々である」より

「あなたたちは神の働きのビジョンを知り、神の働きの一般的方向を把握しなければいけない。これが前向きにいのちに入ることである。ひとたびビジョンの真理を正確に理解したなら、あなたの入りは確かである。神の働きがどのように変化しようと、あなたの心は堅固で、ビジョンについて明確であり、入りと追求の目標を持つことになる。そのようにして、あなたの内の経験と認識のすべてがより深くなり、さらに練られる。ひとたびこの全体像を完全に把握すれば、あなたは、いのちにおいて何も失わず、途方に暮れることがない。こうした働きの歩みを知らないでいれば、あなたはその一つひとつにおいて損失を被る。あなたはほんの数日だけで方向転換することはできない。たとえ数週間経っても正しい軌道に乗ることはできない。それは、後退することではないのか。あなたたちが身につけるべき、肯定的な入りやそのような実践はたくさんある。だから、神の働きのビジョンについて次のような幾つかの点を把握していなければならない。即ち、神の征服の働きの意義、将来完全にされるための道、試練や患難を経験することによって達成されるべきこと、裁きと刑罰の意義、聖霊の働き の原則、完全になることと征服の原則などである。こうしたことはみな、ビジョンの真理である。その他のことは、律法の時代、恵みの時代、神の国の時代の働きの三段階であり、将来の証しである。これらもまた、ビジョンに関する真理であり、最も基本的であるとともに、最も大事なことである。」

『言葉は肉において現れる』の「受肉した神の職分と人間の本分の違い」より

「あなたはビジョンの側面の真理を理解し、実践に関する真理については、それを理解した後に適切な実践の道を見いだす必要がある。あなたは言葉に従って実践し、自分の状況に従って成長する必要がある。ビジョンは基礎であり、あなたがその基礎に全く留意しなかったならば、あなたは最後まで付き従うことが出来ないであろう。あなたがそのようにして実践すると、道を逸れるか、躓いて失敗するであろう。成功は一切有り得ない。大いなるビジョンを基礎として身に付けて居ない者は成功せず、失敗するだけであろう。あなたは揺るぎなく立つことが出来ない。……

ある者がビジョンを備えて居るのであれば、その者は基礎を備えて居る。あなたがそれを基礎として実践するならば、成長するのが格段に容易となるであろう。そうすることで、あなたは成長することの基礎に関して何ら不安を感じず、また成長することが自分にとって容易なものとなるであろう。ビジョンを理解する、業を理解するというこの側面が重要である。あなたがたは、この側面を備える必要がある。あなたが、真理のこの側面を備えずに実践の道だけを語るのであれば、それは重大な欠陥である。あなたがたのうち多くの者が、その側面を強調していないことをわたしは知っている。またあなたがたがその真理の側面に関する話を聞く時、あたかも教義の話を聞いているようである。あなたは、いつか失敗するであろう。現在あなたが理解して吸収していない言葉もある。そうした場合、あなたは忍耐強く求める必要がある。そうすれば、いつか理解する日が来るであろう。少しずつ身に付ける必要がある。あなたが霊的な教義を少ししか理解していなかったとしても、それは霊的教義に全く注意しないよりは良い。それは全く理解していないよりは良い。そうした状態はあなたの成長にすべて役立ち、あなたの疑念を払拭するであろう。そうした状態は、観念で満たされた状態よりも良い。そうした基礎としてのビジョンを備えて居る方が格段に良い。懸念等が一切無ければ、胸を張って闊歩して成長することが出来る。どうして常に疑わしい方法で、混乱したまま付き従う必要があるだろうか。」

『言葉は肉において現れる』の「あなたがたは業を理解する必要がある。訳の分からないまま付き従ってはならない」より

「神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなた方に対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある──その背後にはすべて戦いがある。……神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたは神に満足してもらうためにどうすべきか、どのように固く証しに立つべきだろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである。外面的には大したことではないように見えるかもしれないが、これらのことが起こると、あなたが神を愛しているかどうかが示される。愛していれば、あなたは神への証しに固く立つことができるが、神への愛を実践に移さなければ、これはあなたが真理を実践しない人であること、あなたには真理もなくいのちもないこと、あなたは無用の物であることが示される。」

『言葉は肉において現れる』の「神を愛することだけが本当に神を信じることである」より

噂はどこから来るのですか。また、どのようにして作られるのですか。

参照聖書箇所

「さてヤーウェ神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、『園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか』。女はへびに言った、『わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました』。へびは女に言った、『あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』。 」(創世記 3:1-5)

「どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。」ヨハネによる福音書 8:43-44)

関連する神の言葉

「地がまだ存在していなかったとき、大天使は天国の天使の中で最も偉大だった。大天使は、天国のすべての天使に対する権限を握っていた。それは神から大天使に与えられた権威だった。神を除いて、大天使は天国の天使の中で最も偉大だった。神が後に人間を創造したとき、大天使は地上において神に向けて大きな裏切りを行った。大天使は、人間を支配し、神の権威を超越したかったため、神を裏切ったとわたしは言うのである。エバを誘惑して罪に陥れたのは大天使だった。大天使が神を裏切ったのは、地上に自分の王国を建設し、人間に神を裏切らせて、代わりに自分に従わせたかったからである。大天使は自分に従う者がたくさん存在することを知った。天使たちは、地上の人々と同じく、大天使に従った。鳥と獣、木々、森、山、川、および地上のあらゆるものは、人であるアダムとエバの管理下にあり、アダムとエバは大天使に従った。大天使はそのようにして神の権威を超越し、神を裏切ろうと考えた。後に大天使は多くの天使たちに神を裏切らせ、それが汚れた霊となった。今日までの人間の発展は、大天使の堕落に影響されているではないか。人間が今日あるような状態なのは、大天使が神を裏切り、人間を堕落させたからである。」

『言葉は肉において現れる』の「あなたは人類全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである」より

「はじめに神はアダムとエバを創造し、また蛇も創造した。全ての被造物の中で、蛇は最も有毒だった。その体は毒を含み、サタンはその毒を利用した。エバを誘惑し罪に落とし入れたのは蛇だった。アダムはエバが罪を犯した後に罪を犯した。そして2人はそれから善と悪の区別ができるようになった。」

『言葉は肉において現れる』の「あなたは人類全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである」より

「サタンと悪霊の存在のために、人々は神を拒絶し、反抗的な性質があふれんばかりに満ちているため……」

『言葉は肉において現れる』の「あなたは人類全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである」より

「神に逆らうものはすべてサタンから発生する。サタンはすべての醜悪さと邪悪の根源である。人がサタンに似た性質を持っている理由は、サタンが人に影響を与え堕落させたからである。」

『言葉は肉において現れる』の「キリストの本質は父なる神の心への従順」より

「人間の腐敗した本性が全てサタンに由来するからであり、また人間の本性はサタンに取り憑かれて腐敗させられていることにある。つまり、人間はサタンの邪悪と醜悪さの影響下で生きながらえている。人間は真理の世界や聖なる環境で育つのではなく、光の中で生活してもいない。ゆえに、人間それぞれの本性に真理が生来備わっていることはあり得ず、神を畏れ、神に従う本質を持って生まれることもあり得ない。逆に、人間は神を拒み、神に反抗し、真理を愛すことのない本性を備えている。……

人間の霊は、全てサタンに掌握されている。ゆえに、人間の肉もまたサタンに囚われているのは言うまでも無い。こうした肉と人間が、どうして神に反抗せず、生来神の味方であり得るだろうか。サタンがわたしにより空へと投げ出されたのは、サタンがわたしを裏切ったからであるが、それならば、どうして人間がそうした影響から解放され得るであろうか。これが、人間の本性が裏切りである理由である。」

『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題──裏切り(2)」より

「サタンは教育と国家政府の影響力、そして有名人や偉人により人間を腐敗させる。そうした者の嘘と不合理は、人間のいのちとなり、本性となっている。『自分自身のことだけを考え、落伍者への懸念は不要』は、サタンの有名な格言であり、それは人間ひとりひとりに浸透して人間のいのちとなっている。そのほかにも、これに類似する人生哲学の格言がある。サタンは、各国市民の洗練された伝統文化により人間を教育し、人間性を広大な破滅の淵へ落とし入れて、人間はサタンに仕え神を拒否したために、最終的に神により滅ぼされる。」

キリストの言葉の記録』の「 どのようにして人間の本性を知ればよいか」より

「人間は殆ど知らないが、はえの羽根は美しく魅力的だが、所詮は不浄に満ち、細菌に覆われた、小さなハエである。そうした者は、両親であるぶたや犬の力を借り、圧倒的な凶暴さで地の上で暴れ回る(これは、真の神と真理を裏切る国家の強力な支援を受けて神を迫害する宗教関係者を指す)。それは、あたかもユダヤのパリサイ人の幽霊が、古巣である赤い大きな竜の国家へと、神と共に戻ったかのようである。そうした者は、自らの迫害の業を再開し、その数千年にわたる業を継続する。こうした堕落した者の集団が最後に地の上で滅びることは確実である。数千年が経過した後、不浄な霊は、さらに狡猾で悪賢くなっているようである。そうした者は、密かに神の業を台無しにする術を常に考えている。そうした者は狡猾で悪賢く、自国で数千年前の悲劇を再現することを望んでいる。そうした行いにより、神は突き動かされて大声で叫ぶ寸前の状態にされ、神は第三の天に戻ってそうした者を滅ぼさずにいられない。 」

『言葉は肉において現れる』の「 働きと入ること(7)」より

真の道を考察するには、神の声だけに耳を傾けなさい。絶対にサタンの噂を信じてはいけません。

参照聖書箇所

「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」ヨハネによる福音書10:27)

「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(ローマ人への手紙10:17)

「わたしの民は知識がないために滅ぼされる。」(ホセア書4:6)

「愚かな者は知恵がなくて死ぬ。」(箴言10:21)

関連する神の言葉

「神の足跡を探し求めている私たちは、神の心と、神の言葉、神の発する声を探り求める必要がある。神の新しい言葉があるところには神の声があり、神の足跡があるところには神の業があるからである。神による表現があるところには神の現れがあり、神の現れがあるところには真理と、道と、いのちがある。神の足跡を探し求める中で、あなたがたは『神は真理であり、道であり、いのちなのです』という言葉を無視していた。そのため、真理を受け取っても神の足跡を見出したとは思わない人が多いのである。ましてや、神の現れを認めることなどない。なんと大きな過ちだろうか。」

『言葉は肉において現れる』の「神の現れによる新時代の到来」より

「このようなことを考察するのは難しいことではないが、わたしたちそれぞれにこの真理を知ることが要求される。受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。受肉した神かどうか調べるためには、その人が表す性質や話す言葉からそれを決めなければならない。つまり、人間の姿になった神かどうか、それが真の道かどうかは、その人の本質から判断しなければならない。そこで、人間の姿になった神かどうかを決定するとき、鍵となるのは、外見よりもむしろその人の本質(働き、言葉、性質、その他いろいろ)に注意を払うことである。」

『言葉は肉において現れる』の「序文」より

「真理を理解しない者はいつでも他人に従う。もし人が、これは聖霊の働きだと言うと、あなたもまた、これは聖霊の働きだと言う。もし人がこれは悪霊の仕業だと言うと、あなたもまた、疑惑を持つか、あるいは、それは悪霊の仕業だと言う。あなたはいつでも他人の言葉を物真似して繰り返すだけで、自分では何も識別できないし、自分の頭で考えることができない。それは、自分でものごとを区別できない、立脚点を持たない者である。このような人は価値のない惨めな人間だ。そうした人々は、いつでも他人の言葉を繰り返す。今日、これは聖霊の働きだと言われていても、いつの日にか、誰かがこれは聖霊の働きではなくて、人間の仕業に過ぎないと言う。しかし、あなたはそれを自分で見極める事ができず、他人がそう言うのを聞くと、同じことを繰り返して言う。実際は聖霊の働きであるものを、人間の働きだと言う。あなたは、聖霊の働きを冒瀆する者たちの一人となったのではないか。これは、物事の判断がつけられなくて神に敵対しているのではないか。いつの日か、どこかの愚か者がやって来て、『これは悪霊のしわざだ』と言うと、それを聞いたあなたは途方にくれて、またもや他人の言うことに縛られてしまうかもしれない。誰かが混乱を引き起こすようなことを言うたびに、あなたは自分の立脚点に固く立つことができなくなる。それは、真理を把握していないからだ。神を信じ、神に関する認識を追求するのは、容易なことではない。それは、ただ寄り集まって説教を聞くだけでは達成されないし、熱情だけでは完全になれない。あなたは、経験し、知り、原則に基づいて行動し、聖霊の働きを獲得しなければいけない。経験を積めば、多くのことを判別できるようになる──善悪、正邪、何が血肉によるもので何が真理によるものであるかを区別できるようになるだろう。あなたは、こうしたことの区別ができなければいけない。そうすれば、どういう状況にあっても、迷うことはないだろう。これのみが、あなたの真の基盤なのだ。神の働きを知ることは単純なことではない。あなたは、基準と目標をもって探究しなければいけない。あなたは、どのようにして真の道を求めるか、何を基準にしてそれが真の道かどうかを推し量るか、そして、それが神の業であるかどうか、ということを知らなければならない。真の道を探求する上での最も基本的な原則は何だろう。あなたは、それが聖霊の働きがあるかどうか、それらの言葉が真理を述べているかどうか、誰について証しされているのか、それが何をもたらすか、といったことを調べなければならない。真の道と偽りの道とを判別するには、いくつかの基本的な知識が必要だ。最も基本的なことは、そこに聖霊の働きがあるかどうか、ということである。人間の神への信仰の真髄は神の霊を信じることであるからだ。受肉した神への信仰も、その肉が神の霊の体現であることに基づいている。だから、そうした信仰はなおも聖霊への信仰であるということになる。霊と肉の間には違いがある。しかし、この肉体は霊から来たものであり、肉となった言葉であるのだから、人間が信じるのは、なおも神に内在する実質なのだ。そこで、それが真の道であるかどうかを区別するには、何よりもまず、そこに聖霊の働きがあるかどうかを見て、その後で、その道に真理があるかどうかを見るのだ。この真理は正常の人間性のいのちの性質である。つまり、神がはじめに人間を創造した時に人間に要求したこと、すなわち、(人間の理知、見識、知恵そして、人間であることの基本的な知識を含む)正常の人間性すべてである。即ち、この道が人間を正常な人間性の生活に導くものかどうかを見極めなければならない。述べられている真理が正常の人間性の現実において必要なものかどうか、この真理が実用的で現実的であるかどうか、また、それは最も時宜にかなったものであるかどうか、といったことを見極めなければならない。もし真理があるのなら、それは人間を普通の現実的経験へと導くことができるはずだ。更に、人間はいっそう正常になり、人間としての理知はより完全になる。人間の肉体における生活と霊的生活とはさらに秩序あるものとなり、喜怒哀楽はより正常なものとなる。これが第二の原則である。もうひとつの原則がある。それは、人間は神についてより多くの認識をもっているかどうか、そのような業と真理を経験することは神への愛を呼び起こすかどうか、その人をより親密に神のもとへ近づけるかどうかということだ。このことによって、それが真の道であるかどうか見定めることができる。最も基本的なことは、この道が超自然的なものではなく、現実的なものであるかどうか、また、それが人間にいのちを与えるものであるかどうかということだ。もしそうした原則にかなうものであれば、この道が真の道であると結論づけられる。わたしがこれらのことを述べるのは、あなた方の将来の経験において別の道を受け入れさせるためではなく、また、もうひとつ別の新時代の業が将来現れると予言するためでもない。わたしがこれらのことを述べるのは、あなた方が、今ある道が真の道であると確信でき、今日の業をただ半信半疑で信じ、その業について不確かで見通すことができないようなことのないようにするためである。自分では確信を持ってはいても、まだ惑いの道を辿っている人々さえいる。そのような確信は信条に基づいたものではないから、彼らは遅かれ早かれ、除かれなければならない。とりわけ熱心に従っている者たちでさえ三割は確かだが、五割は不確かである。このことは、その人たちには基礎がないことを示している。あなた方の能力はあまりに貧弱であなた方の基礎が浅すぎるために、区別することがわかっていないのだ。神は同じ業を繰り返しはしない。現実的でない働きは行なわない。神は人間に過分な要求をしない。また、神は人間の理知の外にある業は行なわない。神が為す業はみな、人間の正常の理知の範囲内で行われ、本来の人間の理知の外には及ばない。また、神の働きは人間の正常な必要に沿ったものである。もしそれが聖霊による働きであるなら、人間はずっと正常になり、その人間性はさらに正常になる。人間はサタンに堕落させられた自分の性質、人間の本質についての認識を増し、真理への渇望は更に大きくなる。これはつまり、人間のいのちがどんどん成長し、人間の堕落した性質においては、より一層の変化が可能となる。これら全てが神が人間のいのちになるということの意味である。もし、ある道が、人間の本質であるこれらのものを明らかにすることができないのなら、また人間の性質を変えることができないのなら、さらにまた、人間を神の前へ導き、神についての真の理解を与えることができないのなら、あるいは、人間性をさらに卑しめ、その理知をますます異常なものにするのなら、その道は真の道ではあり得ず、悪霊の業、あるいは、古い道なのだ。要するに、それは聖霊が現在為している働きではないということだ。あなた方は長年神を信じてきたが、それでも真の道と偽りの道との違いを判別し、真の道を探求するための原則についてほんの僅かの知識さえない。ほとんどの人々は、こうした事がらに興味を持ちさえしない。そういう人々は、ただ大多数が行く方へ行き、多数派の言うことを繰り返しているだけだ。どうしてこれが真の道を探している者だと言えようか。どうして、そうした人々が真の道を見いだせよう。もし、こうしたいくつかの重要な原則を把握したなら、何が起ころうと、あなたは欺かれることはないだろう。」

『言葉は肉において現れる』の「神とその働きを知る者だけが神の心にかなう」より

中国共産党はクリスチャンをなぜこれほどに監視、迫害するのか?

馬志軍(国家公安部隊大隊長):素直に答えろ全能神教会での役割は何だ?大幹部か?上の者は誰なんだ?

郎隊長(国家公安部隊長):お前が言わなければ,分からないと思うなよ言うんだジャン・シンイィーお前を3カ月前から見張ってた。お前のことは良く知ってる以前は地方紙の記者だったが、今や全能神教会の大幹部だそうだな?

ジャン・シンイィー(クリスチャン):私が世間や教会で何か仕事をしたら、違法なんですか信教の自由は憲法で認められてます。違法な信仰はしていません。私を調べたり捕まえたり、どんな権限があるんですか?

郎隊長:権限だと?良く聞け中国では、信仰は犯罪行為なんだよ知ってるはずだ。中国では憲法共産党の政策は別物だ。お前の信仰は憲法にはかなっているが、共産党の政策には逆らっているつまり違法行為だ。党の政策が真の法律だ。知らなかったとは言わせないぞ。共産党無神論の党だ。有神論者とはそもそも意見が合うはずがない共産党政権が信仰なんか認めるものか?

ジャン・シンイィー:この世のものをお作りになったのは神です。すべてを支配なさってる神を、信じるのは正しいことです共産党に信仰の自由を奪う権限があるのですか?信仰を持つと生きる権利を奪われるのですか?なぜ神を信じる者はこの国で暮らせないのですか?

郎隊長:ジャン・シンイィー、状況を把握したらどうだ?共産党が一番嫌いなのは神の出現と働きだ。それからお前ら信者だ。とくに聖書と『言葉は肉において現れる』という本、共産党はこの2冊が大嫌いなんだ。この2冊さえなければ、信者などいなくなるだろう共産党に逆らう者もいなくなる、だから共産党と信者は相容れることができない、中国では神を信じれば行き止まりだ。全能神教会のヤツらは神の証とやらが一般のクリスチャンよりしぶとい。だからお前らを容赦するわけにはいかんのだ。お前らの集会は、地方支部村役場一般市民たちに監視してもらってるんだよ。逮捕するためにな。中でも特に影響力のあるヤツは、担当の監視員がずっと張り付いてる。そして集会に集まったところを一網打尽にする。逃げ出したところでムダだよ。共産党が指名手配の賞金首にしてやるからな必ず捕まる運命だ。海外に高飛びしても、中国政府は外交ルートを徹底的に駆使して、何が何でも連れ戻す待ち受けているのは拷問と懲役だ。宗教的信仰を鎮圧するために、共産党がなぜカネと人力と時間をかけるのか?すべての宗教を撲滅するという目標があるからだ。神の信者たちを追い散らして根絶してやる。完全に取り締まるまで兵は退かぬ神の働きと教会を完全に排除し、中国を無神論の領域にするそれが共産党の政策、これでも理屈や法律を語るのか?これだけ共産党の方針をはっきり話したぞ。感想はどうだ?まだ分からないことがあるかね?

ジャン・シンイィー:説明を聞いて分かりました。共産党キリスト教徒を迫害するのは、国から信仰をなくし無神論の国にするためなんですね。そんなことが可能でしょうか?無神論になった国がありますか?そんな国はどこにもない、権力で信仰をなくすことなんてできません。共産党はいつも宗教を禁じようとしてきた。成功しましたか?失敗したばかりか?神を信じる人は増えているどういうことでしょうか?神がすべてを支配している証拠、神の霊の働きですこれを禁止できますか?全能神は言う、「宇宙で起きる出来事の決定権はわたしにある。すべてはわたしの手中にあり、わたしの言葉どおりになる。人間にわたしの意向は変えられない。わたしの計画が妨げられることもない」『言葉は肉において現れる』より政権が神に反抗するのは、自然の理に反する行為じゃないんですか

馬志軍:黙れ、尋問するのはこっちだ質問なんかするんじゃない話しぶりからして、お前は教会の幹部しかも大幹部だな拷問されたくなければ、とっととしゃべることだ

郎隊長:警告しておく、お前の上の幹部教会の資金、今日は話してもらおう罪を帳消しにするチャンスだぞ。ありがたく思って素直に答えなければ、生きて帰れると思うなよ

郎隊長:この写真を見ろ、これは誰だ?名前は?これがお前の上の者か

ジャン・シンイィー:友達です、友達と公園で話すのも犯罪ですか?

郎隊長:言え、電話でイーさんと呼んでいたのはこの女なのか?神の言葉の本を2千冊頼んだんだろ。

馬志軍:こっそりと連絡を取って電話で暗号を使ってるぐらいで、安心してたのか?警察も随分となめられたもんだ。我々の監視装置や盗聴装置はアメリカ産の、最新式だ。電話でを変えてみても、お前の声だと認識できる。

暗号を使ってることも見抜ける暗号そのものも解読済みだよ。まだ逃れようと思うか?諦めろ。今からチャンスをやる自ら正直に話してみろ。逆らって痛い目にあっても我々を恨むな。我々の拷問刑具を甘く見るなよ。口がくてもこれで素直に話してもらう。

ジャン・シンイィー:確かに最新式の盗聴器具ですね。けれどもキリスト教徒を逮捕するためにそれを使うなんて間違っています。信者が法を破りましたか?神の受肉に何の罪があるというのですか?なぜ神の働きを邪魔するのですか?ここまで信者を監視する国がどこにありますか?大金をかけて購入した最新式の装置で、信者を追跡して逮捕する。そんな行為が合法ですか?共産党が法律に従い人権を守れば、信者が暗号でしゃべる必要はありません。すべて中共政府のせいですよね。好き勝手に政府が市民の信教の自由侵をして、信者の生きる権利を奪って、あげくの果てに言いがかりをつけては犯罪者にする。泥棒に泥棒呼ばわりされるみたい、法にれるのは私たちですか?あなた方ですか?

郎隊長:その口ぶりじゃ、共産党のことが分かってないな。共産党は神と神の働きになぜ敵対心を持つのか?キリスト教徒が信じるのは共産党ではなく神の言葉だからだ。共産党からすればお前らは敵だ。党の方針に反することは犯罪よりも重罪なんだ。これが昔なら反革命的とみなされる。そんな言葉ピンとこないだろうが、共産党の方針に従わないと共産党の革命運動の標的になる。共産党はお前らを完全に消滅させる。今度こそよく分かっただろ?

ジャン・シンイィー:おかげさまで共産党のことも、何もかもよく分かりました共産党は神を宿敵として戦い死闘を続けのですね。理解できないのは、神を敵に回すことで何の得があるのか国民が今より幸せになり国が豊かにりますか?律法の時代に神はべました。「わたしを憎むものは父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して千代に至るであろう」(出エジプト記20:5-6)神に背くと悲惨な最期を迎えます。迫害されても一時的に耐えれば済むことです。神に反抗した罰は永遠に続きます。神の義なる性質は侵せません。

馬志軍:クソったれ、これでもを福音広めて神の証をしたいかまだ分からないのか?俺たちは悪魔なんだお前の説教など聞かん。俺たちはマルクスの弟子だ。無神論者だ。もし神がいても認めるもんか?神を受け入れるくらいなら地獄に落ちてやる。これ以上神の証をするなら、死にたいとみなすぞ。

馬波(警察):天の正義とか言ってみろ

郎隊長:よし、お前の運命を誰が握ってるか?今日はっきりと分からせてやろうじゃないか神なのか俺たちなのか今から教えてやるよ。こいつを吊るせ。

馬波:どうだ?気分がいいだろ?全部吐かなければフルコースだぞ

郎隊長:言っとくが、お前のような神に毒されたヤツは、矯正の仕方も特別だお前は神に忠誠を誓ったんだろ。心に響く証しを望んだんだろ。神を汚すユダにしてやる。お前の写真をネットにアップして、お前は教会を売ってユダになったと書き込み、恥をかかせてやるよ仲間はお前を裏切り者と見るだろう。言い訳しても一度ついてしまった汚名は晴らせまい、教会の仲間に合わす顔がないな。

ジャン・シンイィー:あなたがたの汚いやり方は知っています人をはめるのはあなたがたの常套手段ですよね。でも義なる神はすべてをお見通しよ。わたしがユダかどうかも、ご存知よ。でっち上げても無駄です。