東方閃電-小羊の足跡に従っていくこと

東方閃電全能神教会は世界に”神様が帰ってきた”ことを公に証ししています。彼は再臨の主イエスです。神様の羊は神様の声を聞き分けます。多くの真理を渇仰する人は、東方閃電全能神教会を考察します。

終わりの日のキリストの語られる言葉 「神と人は共に安息に入る」その1


全能神は言われます「人が安息を失ったので、神も安息を失った。神がもう一度安息の中に入る時、人も安息の中に入る。安息の中の生活とは、戦いも道徳的堕落も、持続する不義もない生活である。そのような生活には、神に敵対するいかなる勢力の侵入もないだけでなく、サタン(サタンとは敵対する諸力を指す)による妨害もサタンの堕落も存在しない。万物がおのおのその同類のものに従い、造物主を礼拝する。天上も地上も平穏になる。これが人類が安息に入った生活である。神が安息の中に入った時、地上にはもうどんな不義も持続せず、もういかなる敵対勢力の侵入もなくなる。人類も新しい領域の中に入る。すなわち、彼らはもはやサタンに堕落させられた人類ではなく、サタンに堕落させられた後救われた人類である。」
もっと注目:赤の家庭教育

終わりの日のキリストの語られる言葉 「神は人のいのちの源である」貴方は私の主


全能神は言われます「神のいのちの偉大さとその力は、いかなる被造物にも推し測ることができない。これは今もそうであり、昔もそうであったし、これからもそうであろう。わたしが伝える第二の秘密はこれである。すべての被造物のいのちの源は神から来るのである。いのちの形や構造にいかなる違いがあっても、あなたがどのような生命体であっても、神が定めたいのちの道と逆方向に動くことはできないのである。いずれにしても、わたしが人に理解してほしいことは、人がどんなに努力しても、奮闘しても、神の配慮、守り、備えなしには、人は受け取るはずであったものを何も受け取ることができないということである。神からのいのちの供給なしには、人は生きる価値を失い、いのちの意義を失う。」

キリスト教会讃美歌「真の信仰は神の働きを知ることのみから来る」


I
神の業とは語ること 
もはや印や奇跡・恵みの時代ではない
神は普通であり実在する
終わりの日 神は超自然的イエスではなく
肉となった現実的な神で 人と変わらない
人が神を信じるのは多くの業
言葉そして行いゆえである
神の発する言葉が 人を征服し完全にする
印や奇跡は信仰の核心ではない
神の行いで 人は神を知る
II
各時代で違う性質
その業の違う部分を神は啓示する
しかしそれらの全ては今なお
神へのより深い理解と地に足のついた
本当の信仰を与える 真の信仰を
人が神を信じるのは多くの業
言葉そして行いゆえである
神の発する言葉が 人を征服し完全にする
印や奇跡は信仰の核心ではない
神の行いで 人は神を知る
III
神の実際の行いと
神がどう働き・語り・知恵を用い
人々を完全にするかを知ることだけで
神の現実を把握し性質を理解できる
神がどう人に働きかけるか把握せよ
神が何を好み嫌うかを理解せよ
そうすれば善と悪を見分けられ
神を知ることであなたの命は進歩する
人が神を信じるのは多くの業
言葉そして行いゆえである
神の発する言葉が 人を征服し完全にする
印や奇跡は信仰の核心ではない
神の行いで 人は神を知る
『言葉は肉において現れる』より

終わりの日のキリストの語られる言葉「神の現れによる新時代の到来」


全能神は言われます「私たちが探し求めているのは神の足跡である。霊的な指導者を求めているのでもなく、ましてや有名人でもない。私たちがたどっているのは神の足跡である。神の足跡を探し求めている私たちは、神の心と、神の言葉、神の発する声を探り求める必要がある。神の新しい言葉があるところには神の声があり、神の足跡があるところには神の業があるからである。神による表現があるところには神の現れがあり、神の現れがあるところには真理と、道と、いのちがある。」

聖霊が諸教会に語られた御言葉「神とその働きを知る者だけが神の心にかなう」


全能神は言われます「神を信じ、神に関する認識を追求するのは、容易なことではない。それは、ただ寄り集まって説教を聞くだけでは達成されないし、熱情だけでは完全になれない。あなたは、経験し、知り、原則に基づいて行動し、聖霊の働きを獲得しなければいけない。経験を積めば、多くのことを判別できるようになる──善悪、正邪、何が血肉によるもので何が真理によるものであるかを区別できるようになるだろう。あなたは、こうしたことの区別ができなければいけない。そうすれば、どういう状況にあっても、迷うことはないだろう。これのみが、あなたの真の基盤なのだ。神の働きを知ることは単純なことではない。あなたは、基準と目標をもって探究しなければいけない。あなたは、どのようにして真理の道を求めるか、何を基準にしてそれが真理の道かどうかを推し量るか、そして、それが神の業であるかどうか、ということを知らなければならない。真理の道を探求する上での最も基本的な原則は何だろう。あなたは、それが聖霊の働きがあるかどうか、それらの言葉が真理を述べているかどうか、誰について証しされているのか、それが何をもたらすか、といったことを調べなければならない。」

終わりの日のキリストの語られる言葉「神を知ることこそ、神を畏れ、悪を避ける道」

全能神は言われます「『神を畏れ、悪を避け』と神を知ることには、不可分の綿密な関連性があり、またその関連性は自明である。ある者が悪を避けたいならば、その者はまず神を真に畏れなければならない。神を真に畏れることを望む者は、まず神に関する真の認識を得なければならない。神に関する真の認識を得たいのであれば、まず神の言葉を体験し、神の言葉の現実に入り、神の懲らしめと鍛錬、刑罰と裁きを経験しなければならない。神の言葉を経験したいと望むのであれば、まず神の言葉と向き合い、神と向き合い、そして人、出来事、物事が係わるあらゆる環境で神の言葉を体験する機会を神に請い求めなければならない。神や神の言葉と向き合うことを望むのであれば、まず単純かつ誠実な心と、真理を受け入れる心の準備をし、苦しみを耐える意志、悪を避ける決意と勇気、本物の被造物になりたいという志を持つ必要がある…。このようにして、一歩ずつ前進すれば、神にますます近づき、心はますます純粋さを増し、自分の人生や生きる価値が、神に関わる知識とともに一層有意義で晴れやかなものとなってゆく。」

聖霊が諸教会に語られた御言葉「本物の人とは何を意味するか」


全能神は言われます「しかしあなたは、わたしが造った人間がわたしの似姿と栄光を伴う聖なる人であったことを知らなくてはならない。彼らはもともとサタンのものではなく、サタンに踏みつけられる対象でもなく、サタンの毒の痕跡すらない、純粋にわたしが現れたものであった。それだからわたしは、わたしの手によって造られた、他の何ものにも属したことのないわたしの最愛の聖なる人間たちだけを欲することを全ての者に知らせる。さらに、わたしは彼らに喜びを感じ、彼らをわたしの栄光として見る。しかしわたしが欲するのは、サタンによって堕落させられ、今日サタンに属しているような人類ではない。彼らはもはや、わたしの本来の創造物ではない。わたしは人間の世界でわたしの栄光を再び得ることを望んでいるから、サタンに対するわたしの勝利によるわたしの栄光の証拠として、人類の生き残りどもを完全征服する。わたしは、わたしに対する証をわたしの結晶化としてしか受け止めず、喜びとしてしか受け止めない。わたしの意図はそのようなものである。」
通読のおすすめ:永遠の使命「栄恥」