東方閃電-小羊の足跡に従っていくこと

東方閃電全能神教会は世界に”神様が帰ってきた”ことを公に証ししています。彼は再臨の主イエスです。神様の羊は神様の声を聞き分けます。多くの真理を渇仰する人は、東方閃電全能神教会を考察します。

質問5.全能神を受け入れて以来、牧師たちが邪魔をして、聖書の説明ばかりして、反論しても、拒否しても、しつこく付きまとうんです。嫌がらせです。私たちが弱気の時は、こんなに熱心じゃなかったのに、全能神を受け入れた途端に激しく怒りだして、あの手この手を使って、人を悩ませて、気が休まりません。私たちを地獄に引きずり込むつもりですよ。不思議です、牧師も長老も主に仕え聖書にも詳しい、だから全能神が示した言葉はすべて真理だと分かるはずなのに、なぜ学ぼうとしないのでしょう?全能神を拒んで冒涜する前に、終わりの日の御働きを

解答: 牧師たちは信者が全能神 を受け入れるのが心配なのです。彼らからすれば、あなた方は自分たちの羊、盗まれれば、牧師と長老にとって大事件です。だから、なんとしてでも引き止めようとするのです。主イエスが働かれた時、ユダヤ教の祭司長や律法学者は、主イエスを中傷し、非難し、冒涜して、十字架に掛けてしまいました。主イエスを受け入れたいユダヤ教の信者もいたのに、なぜ受け入れなかったのか?それはユダヤ教の祭司長や律法学者、パリサイ人がユダヤ教の信者を脅迫し、主イエスを受け入れないように妨害したのでしょう。ニコデモという人物は、夜間だけ主イエスに会えました。この状況と無関係ではないのです。聖書にもはっきりと記録されています。あいにく、宗教界でパリサイ人が主に逆らう理由を知る人や、主イエスがパリサイ人を非難し、呪った言葉から牧師たちの正体を見抜く人はあまりいません。違いますか?しかし全能神が、終わりの日に牧師たちが神に逆らう実態を明かしました。全能神の言葉を読みましょう。

全能神は言われる。「あなたがたはパリサイ人がイエスに逆らったことの根源を知りたいか。あなたがたはパリサイ人の本質を知りたいか。彼らはメシアに関する空想に満ちていた。さらに、彼らはメシアが来ると信じていただけで、いのちの真理を求めなかった。だから今日になっても未だに彼らはメシアを待ち続けている。いのちの道に関して何の認識もなく、真理の道がどのようなものかも知らないからである。これほど愚かで頑固で無知な人々が、神の祝福を得ることなどあり得ようか。彼らがメシアを見ることなどできるだろうか。彼らは聖霊の働きの方向を知らなかったために、イエスの語った真理の道を知らなかったために、さらにはメシアを理解しなかったためにイエスに敵対した。彼らはメシアに会ったことがなく、メシアとともに過ごしたこともないために、彼らはみなメシアの名前をむなしく守りながら、どのようなことをしてでもメシアの本質に逆らうという過ちを犯した。これらのパリサイ人は本質的に頑固で、傲慢で、真理に従わなかった。彼らの神への信仰の原則は、『どれほど説教が奥深く、どれほど権威が高かろうとも、あなたがメシアと呼ばれない限り、あなたはキリストではない』というものである。これらの見方は不合理でばかばかしくないであろうか。あなたがたにもう一度問う。あなたがたが全くイエスを理解してこなかったことを考えれば、最初のパリサイ人たちと同じ誤りを簡単に起こしてしまうのではないか。あなたは真理の道を識別することはできるのか。あなたがキリストに逆らわないとあなたは本当に請け合えるか。あなたは聖霊の働きに従うことができるのか。自分がキリストに逆らうかどうかがわからないのなら、あなたは既に死ぬぎりぎりのところに生きているとわたしは言う。メシアを理解しなかった人々は皆、イエスに逆らい、イエスを拒絶し、イエスを中傷することができた。イエスを理解しない人々は皆、イエスを否定し、イエスをののしることができる。そればかりか、彼らはイエスの再臨をサタンの惑わしとして見ることができ、さらに多くの人が受肉し再来したイエスを非難するであろう。これらのことのせいで、あなたがたは恐ろしくならないのか。あなたがたが直面することは聖霊に対する冒涜であり、諸教会に向けた聖霊の言葉を台無しにし、イエスが表した全てをはねつけることとなる。それほど混乱しているのなら、イエスから何を得られるというのか。あなたがたが頑なに自分の間違いに気づくのを拒絶しているのならば、イエスが白い雲に乗って肉に戻ってくる時にイエスの働きをどのようにしてあなたがたが理解できるというのか。わたしは言う。真理を受け入れず白い雲に乗ったイエスの再臨を盲目的に待つ人々は、確実に聖霊を冒涜することになり、彼らは滅ぼされる種類である。」(『言葉は肉において現れる』の「あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である」より)

「荘厳な教会で聖書を読む者たちは毎日聖書を暗唱するが、一人として神の働きの目的を理解しない。一人として神を知ることができない。さらに、一人として神の心と一致していない。彼らは皆価値のない、卑劣な人々だが、それぞれ神を教えるために高い地位に就いている。彼らは神の名をこれ見よがしに振りかざすが、故意に神に反抗している。彼らは自分たちを神を信じる者と呼びはするが、人の肉を食し、その血を飲んでいる者たちである。そのような人々は皆人の魂を貪り食う悪魔、正しい道に一歩踏み出そうとする人々を故意に混乱させる悪霊のかしら、神を探し求める人々の道を妨げる躓きの石である。彼らは『健全な肉体』の者たちであるが、彼らの信者たちはどうしたら彼らが人を神に敵対する方向へ導く反キリストであると知ることができるだろうか。どうしたら彼らが魂を好んで求めては貪り食う悪魔の権化であることを知ることができるだろうか。」(『言葉は肉において現れる』の「神を知らない者はすべて神に反対する人々である」より)

「毎日、彼らは聖書にわたしの痕跡を探し、適当に『都合の良い』句をみつけては、いつまでも読み続け、……彼らはわたしの存在や行為を無視し、その代わりに聖書の一字一句に極端かつ特別の注意を注ぐ。そして、その多くは、聖書で預言されていない限り、わたしは自分がしたいことは何もしてはいけないとさえ信じている。彼らはあまりにも聖書を重視し過ぎている。彼らは言葉と表現を大事にするあまり、聖書の語句を用いてわたしの発する一語一語を評価したり、わたしを批判するほどである、と言える。彼らの求めているのは、わたしとの融和の道ではなく、また、真理との融和の道でもなく、聖書にある言葉と融和する道なのである。また、彼らは、聖書に合致しないものは、例外なく、わたしの働きではないと信じている。そうした人々はパリサイ人の従順な子孫なのではないか。ユダヤのパリサイ人は、モーセの律法に基づいてイエスを罪に定めた。彼らは当時のイエスとの融和を求めず、律法に文字通りに忠実に従うあまり、イエスが旧約の律法に従っておらず、またメシヤでもないという罪で、ついに無実のイエスを十字架につけたのである。彼らの本質は何であったのか。彼らは真理と融和する道を求めていなかったのではないか。彼らは聖書の一字一句にこだわり、わたしの心とわたしの働きの手順や方法には無関心でいた。彼らは真理を求めた人々ではなく、聖書の言葉に厳密に従った人々であった。彼らは神を信じたのではなく、聖書を信じていた。つまるところ、彼らは聖書の番犬であった。」(『言葉は肉において現れる』の「キリストと融和する道を探せ」より)

「どの教団、教派の指導者を見ても、みな独善的で聖書を勝手に解釈しています。彼らは賜物と学識に頼って働いています。彼らが説教をすることが出来なければ、人々はそれでも付いて来るでしょうか。指導者たちはそれなりの知識を得、教義を少しは語ることができ、他の人々を勝ち取ったり策略を用いたりして自分達のところへ人を集め、欺いてきました。欺かれた人々は、名目上神を信じてはいますが、実際には神ではなく指導者に付き従っているのです。真の道を語る人に彼らが出会ったならば、『信仰について、私たちの指導者に相談する必要がありますね。』と言う者もいるでしょう。彼らには神に対する信仰に関して、誰かの承認が必要なのです。それは問題ではないでしょうか。指導者達はどのような存在になったのでしょう。パリサイ人、偽羊飼い、反キリスト、真の道を受け入れようとする人々にとっての躓きになったのではないでしょうか。」

キリストの言葉の記録』の「真理の追求のみが真の神への信仰」より

全能神は真実を語っています。パリサイ人がなぜ主イエスに逆らい、牧師たちがなぜ、神の終わりの日の働きに逆らうのか?彼らが神を非難する理由が分かりましたか?恵みの時代主イエスはパリサイ人を呪い、偽善者という正体を暴きました。終わりの日には、全能神がお見えになり、牧師や長老の神に逆らう振る舞いを暴きました。神の二度の受肉で、牧師たちの偽善と神への反抗心を暴いたのはなぜでしょうか?神に仕えているとのたまいながら、御言葉を実践するどころか、戒めも守れない、真理の現実もなく、神に心から服従していない、教条や規則や儀式を実行するだけ、雄弁さを武器にして、巧みに聖書の知識と神学を説明し、注目と尊敬を集め、信者を従わせようとします。信者たちはそれに従い、彼らの指示を受け、言うとおりにしてしまう。真の道を求めるのにさえ、牧師や長老の許可が必要なんて、問題が何であろうと、神に祈ったりする代わりに、牧師や長老に頼ってしまう。そして言われたとおりに行動する、彼らの言葉が聖書や真理に沿っているかも分からないまま、神が受肉して働き真理を示しても、調べるべきか神の声を聞くべきか判断もできず、牧師や長老に決めてもらう、自分の人生を牧師や長老に任せているのです。おかしくないですか?彼らと主イエスのどちらを信仰しているのですか?疑問に思うべきです。パリサイ人や牧師たちは信者を神のもとへ導かず、自分の掌の上で支配しています。信者の多くは見識が足りず、偽善的なパリサイ人や牧師や長老にだまされているのです。神が真理を示して、彼らの本質を暴露しなかったら、神の選民を奪うために戦いをいどむ、反キリストだとは誰も分からなかった。そして、神の選民は欺瞞や罠から逃れるすべもなく、神の働きを受け入れ救われることもなく、反キリストのせいで滅ぼしていたでしょう。全能神は宗教界の牧師や長老が神に反抗する本質と原因を明らかにし、神に仕える振りをしていることを、神の信者たちに見せてくださったということです。パリサイ人の束縛やサタンの影響から救ってくださるのは神なのです。神の御働きがなかったら、信者たちは自発的に神の元へ戻るでしょうか?パリサイ人が神に抵抗するという真相を知らずに、パリサイ人を見分けることができるでしょうか?牧師や長老が終わりの日の神に逆らうという真相を知らずに、その束縛から逃れることはできるでしょうか?できないのです。神がこのように働かれるのは私たちに対する憐れみと救いなのです。

宗教界では誰もが牧師や長老を崇拝し、聖書を理解している信心深い人だと思っています。信者たちの面倒もみて、根気強く聖書を説明してくれるのに、なぜパリサイ人や反キリストとされるのでしょう?表向き良く見えるとか主のために一生懸命働いているからといって、反キリストではないとは言えないのです。神の働きや受肉したキリストが示す真理を、どう受け止めるかが最も重要なのです。それが正体を見分ける唯一の手段です。ユダヤ教の祭司長や律法学者、パリサイ人と同じです。聖書の説明がうまく、衣類には聖句が刺繍してあり、外見はとても信心深い。でも主イエスが現われ、働かれたときはどうしました?主イエスが悪霊を追い出して病人を癒し、神の力を示したのを見て、悪霊の王によって悪霊を追い出したと冒涜したといいます。そのうえ、大祭司は主にキリストかと聞き、主が「そうだ」とお答えになると神への冒涜だと非難しました。そしてローマ政府へ引き渡しました、主イエスを磔にするため盗賊を許したくらいです。ユダヤ教の祭司長や律法学者、パリサイ人は主イエスの言葉や働きに力があると知りながら、真理を探そうとも受け入れようともせず、律法や法令に固執し、聖句を引用して神の働きを非難し、主がいかに真理を示し奇跡をお見せになっても気にもとめず、メシアと呼ばれない限り主を非難して逆らいました、どうしても十字架に磔にする気でした。このような事実から、パリサイ人の本質は真理と神を憎む反キリスト悪魔といえます。終わりの日に主イエスは全能神として戻られ、真理を示し裁きと救いをされています。様々な教派の良い信者たちが全能神の言葉を聴き、これこそ神の声だと気づいたのです。牧師や長老は全能神が発する言葉が真理であり、権威があると知りながら、真理を求めようとしません、聖書にしがみつき都合よく引用する、聖書からの逸脱は異端であり、雲に乗って来ない主イエスは偽者だと言う。その上、神が受肉したと伝えるのは異端や虚偽として、あらゆる風評やでっち上げを広め、全能神を非難して、冒涜するのです。終わりの日の神の働きを求める者を妨害し、神の到来を見捨てようとさせるのです。牧師や長老が神の羊を神に返そうとせず、自分の所有物にして、神に選ばれた者を支配するのは、反キリストではないでしょうか?牧師と長老の態度はまさにそれです。それどころか、全能神の知らせを広めて証しする者が出ると、攻撃し、辱め、警察まで呼んで、中国共産党というサタンの政権に引き渡し、神の終わりの日の働きを阻止しようとし、中国の宗教界を永遠に支配しようとしました。真理を憎み神に逆らうサタンの本性を表したのです。

『邪魔しないで』の映画台本から